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2007年12月21日

横田基地は「リサの街」

今日、 僕の頭の中は来週に録音制作するORITO新作の  「リサ:横田基地物語」のことで いっぱい。 この2部構成の10分間以上にわたる長編の戯曲をどうやって、決められた予算と時間の範囲内で首尾よく効率良く録音し編集するか。 
働きながら、そんな制作上の実務的&技術的&財務的なことばかり考えていたら、しまいには気が滅入ってきてしまった。 
この長編曲をソング・ライトしてデモを作った4年前の頃のような、横田基地とその周辺地域に対する僕なりの「詩的ロマンチシズム」を、見失いそうになった。 
「いかん。やばいな。録音直前にこれでは・・。どうしよう・・・。」 
「・・・。そうだ!! 久しぶりに今日は横田基地とその周辺へ行こう。リサの街の空気にもう一度触れよう。それが一番だ。そういえば最近はあそこへ行ってなかったなあ。以前はよく行ったのに。」 と思いついた。


車を20分ほど飛ばし、夕暮れの横田基地と福生(ふっさ)市街、つまり「リサの街」に到着。 
そのまま「リサの街」を1時間ほどゆっくり車で流した。カー・オーディオで リサ:横田基地物語 のデモを繰り返し繰り返しかけながら。 オーディオから聞えてくる リサ:横田基地物語 のストーリーのなかで繰り広げられる場面の舞台となるスポットを、僕はこの街を周回しながら、ロケハンした。これは楽しい遊びだった。 
たとえば、 
リサのパパが営む古着屋は、やっぱ国道16号線沿いのこの米軍払い下げのミリタリーウェアのこの店だよな。 
リサの家はJR八高線の東福生駅の付近ならリアルかなあ。 
リサと恋人の黒人兵士カルヴァンのデートの待ち合わせ場所(曲中ではカルヴァンがいつも2時間も遅刻するんだけど)は、やっぱ福生バーガーのこのカフェだよな。 
カルヴァンがセクシーなダンスを踊ってリサをメロメロにするクラブは、やっぱ La Boom しかないでしょ。このクラブ、ほんとに店内から基地の黒人たちの体臭(ファンク)が臭ってきて、まじヤバイよなあ。この店の本物のディープU.S.Aな空気にどっぷり浸かったら、渋谷や心斎橋のクラブなんて薄っぺらくて&かったるくて・・・。 
カルヴァンが去っていってから、リサが基地の中を眺め続けて、基地の監視員に睨まれて泣く泣く立ち去っていくのは、やっぱ基地の第2ゲートがぴったしだよなあ。 
とまあ、こんな感じ。 


土曜日(今日)の午後5時をすぎてあたりが夜のとばりが下り始めると、1週間のお勤めを終えた基地の兵士たちが、基地のゲートから街に羽目をはずしに繰り出してくる。ちょうどそういう時間に居合わせたのはラッキーだった。 
そしてやっぱり、いたいた。実物の リサとカルヴァンが!! 
身長が190cmはあろうかという筋肉隆々な感じのイカシタ黒人と、その腕にぴったりと抱きついて、メロメロ・ウキウキな20歳くらいの日本人のHip Hop・ストリート系の可愛い女の子がちょうど八高線の踏み切りをこちらに渡ってくるところに出くわす。 
僕はあわてて車を切り返して、このカップルをそしらぬ顔で追っかけて、車の窓越しにこの二人の姿に向けて、肉眼カメラのシャッターを パチリ!!パチリ!!と連写した。脳裏に焼き付けた。 
「ほらな。やっぱり実在するんだぜ!!リサとカルヴァンは!!」 
これに満足して、僕は嬉々として家路についた。 
リサの街 の光景を目に焼きつけ、臭いを鼻で嗅ぎ、空気を肌に沁み込ませ、リサ:横田基地物語の音像をもういちど耳に焼き付けた。 


この街は自由でいい。そして危なっかしい。 いい意味で 不良 な気分になれる。 
そして、なぜだか 悲しい街だ。そこがまた、良い。 
それが妙に僕の「詩的ロマンチシズム」と 「文学的・演劇的な表現衝動」を、かき立ててくれる。


あらためて、この街のことをORITOの戯曲として描写したくなった。 
リサ:横田基地物語 として。 
 

2007年11月26日

可愛い愛娘

祝日で仕事がお休みの今日、僕は朝から再来週の録音にそなえて 
録音曲のイメージトレイニングと歌を練習しようと思っていたのだけど 
保育園が本日お休みの可愛い娘に 「父ちゃん、遊んでよ~」と邪魔されて、でもやっぱ可愛くて、ついつい娘と遊んでしまい、全然 練習やれません。 
娘は今しがた、ようやくお昼寝してくれた。ほっと一息。 
いやはやまったく、2歳半の女の子の可愛らしさと言ったら、 しぐさも言葉も声も笑顔も、 
お人形さんのようで、とても人間技ではありません。たまりません。 
おまけに2歳半の幼児の天衣無縫なやんちゃぶりと言ったら 
危なっかしくて目は離せないし、世話は焼けるし。疲れます。 


やっぱ、今回の録音曲のイメ・トレも歌の練習も、 前回の「感謝の歌・メイフィールド」の録音の時と同様、 仕事への行き帰りで自転車こぎつつやるしかないな。こりゃ。 
それにしても、娘の誕生以前に、 
歌の表現イメージさえできれば、 ヴォイシングもフレージングもそしてフリースタイルのアドリブも、そのイメージどおりに歌えるように修練しておいて本当によかった。 
このスキルが身についてなかったら、きっと今頃僕は音楽シーンから戦力外通告されていただろう。 だって、娘が生まれてからの僕は、娘と過ごせる貴重な時間を削ってまで音楽をやる気がしなくなったので、僕の歌の練習量と音楽を聴く時間は、それ以前の3分の1くらいに減ったもんなあ。 でも 
娘が生まれてくれなかったら、俺の七転八倒の音楽人生なんて、しょせん独り善がりなショボいものだったろうなあ。

ただ。娘が生まれてからの僕はこのとおりのhomey papa なんだけど、それでも今なおステージに立った時のORITOの歌声はsexyだとかエロい、とお客に言われるこの事実はなんなのだ。僕という馬鹿な男の生まれもっての「業(ごう)の深さ」なのか?

2007年11月16日

大阪でのめでたい3日間

先週の金曜から日曜の夜まで 大阪で めでたい3日間をおくった。

金曜の夜は Marvin での 投げ銭ライヴ。Marvin は 今や 僕のホームだ とあらためて実感した。 
バック・アップをしてくれた せき・こーじさん、伊藤誠さん、ロベルト・かじやさん、のグレイトな演奏のおかげで、リラックスしているのに熱いステージになった。 
まびマスさんのお気に入りのmy song、デジャヴーを10年ぶりにライヴで歌い、この曲についてのトラウマも消えうせた。 これからは、デジャヴーをまた歌っていこうと思う。 これもやはり、ORITO復活のひとつだよね。 はるばる横浜や岐阜からもこのライヴにきてくれた人たちがいて驚いた。 


土曜日は 「なみはやドーム」でプロ・バスケのBJリーグの大阪EVESSAの開幕戦を観戦。EVESSAは快勝。 しかもこの試合の模様が関西のNHK総合テレビで放送になり、僕のプロデュースしたJAY'EDのEVESSA応援ソング "I do"がエンディング・テーマで流れた。 夜は、翌日になみはやドームでのお披露目ライヴをするJAY'EDとラッパーの4WDのリハーサルをディレクション、J君に「必殺ORITOターン」を伝授した。 その後、親戚の結婚式のために大阪に来た妻子と妻の親戚と合流し、楽しい夜を過ごした。 


翌日の日曜日の「なみはやドーム」は、7000人の観衆がつめかけた。J君も4WD君も緊張していたが、彼らのEVESSA応援ソングお披露目ライヴは成功。 僕も当日いきなり、彼らのライヴの時の会場の音響とライティングの演出のキュー出しをすることになった。ライヴ本番では、僕も夢中でキュー出ししたので緊張はしなかったが、ライヴが無事に終わって大会場の観衆を見上げた時には、「俺って、今しがた5分間だけこの大会場の演出を仕切っていたんだよな・・・」と我に返って、少し足が震えた。 


ライヴ後は、J君らパフォーマーも、僕らスタッフも、EVESSA関係者さんも、お客も、みんないい顔していた。 
その後、EVESSAの試合を、大阪の伝説&現役バリバリのスーパー・ベーシスト 清水興さんと隣りあわせて観戦した。清水さんがバスケにやたら詳しくていらっしゃって、僕は清水さんの実況解説付きで、この試合をさらに鋭くて深い視点から面白く観戦するという幸運を得た。 


その夜、結婚式への出席を終えた妻子たちと再び合流し、翌朝に新幹線で帰京。無事帰宅した。 
それにしても、すごい3日間だった。マジ疲れたけど、楽しかった。 
めでたし。めでたし。 
今回の大阪滞在でお会いした皆様に、今一度心から感謝します。

2007年11月08日

大阪

名古屋出身で東京在住の僕は、どういうわけか以前から大阪出身・在住のブラック・ミュージック系のシンガー、ミュージシャン、ラッパー、トラック・メイカーと縁が深い。今ではマネジメントまで大阪に本拠を置いている会社だ。当然、さらに大阪の黒人系音楽人と更に縁が深くなる。

最近でも、僕のライヴを見に来てくれた人たちや録音制作やライヴで共演した大阪の人たちを挙げると、日本屈指のベーシスト清水興さん、元Human Soul のJAYEさん、女性ジャズ・シンガーのCHAKAさん、関西Hip Hopの草分けラッパーのRY-double君やDJ Hiyokoさんといったベテランの大御所の方々から、現行日本Hip Hop/R&Bを代表する天才トラック・メイカーBach Logic(BL)君やのラッパー4WD君といった現役バリバリ勢から、今後の日本のR&Bシーンを引っ張っていくであろうJAY’ED君、真之介君、EMI MARIAちゃん、JemstoneのMeyouちゃんといったルーキーたちまで、多士済々だ。

大阪は昔から現在に至るまで、黒人音楽系の素晴らしいアーティストたちが続々輩出してくる街。僕のようなよそ者からみたら、羨ましくそして恐ろしいくらいのブラック・ミュージック・タウンだ。このことはこれから先も変わらないだろう。

ただ、その割には不思議と大阪出身・在住のブラック系アーティストの方々は、縦の世代間の繋がりが乏しい・・・ように思える。ソウルやジャズとHip Hop/R&Bでは、ライヴハウスでのバンド演奏とクラブでのDJによるトラック・プレイ、という活躍の場の違いがそうさせるのかもしれない。
先日BLやJAY’EDと録音制作完成のささやかな打ち上げをしたとき、こんな会話をした。JAY’ED「こないだORITOさんのライヴ会場で紹介してもらったJAYEさんって、凄い歌を歌いそうですね。雰囲気でわかります。」

ORITO「JAYEさんは凄いぞ。マジで。それにJAYEさんはJAY’EDの歌のこと、大阪にこんな若い良いシンガーがいたのかって驚いていたぞ。俺には、君らが同じ大阪にいながら、お互いのことを知らなかったことのほうが不思議だぜ。」
BL 「同じ街にいても、縦の繋がりが途切れちゃってるんですわ。それが繋がって一つに集まったら、大阪は、また凄いことになるはずやで。」
ORITO「よっしゃ。そのお手伝い、俺がやらしてもらうわ。」

この、僕とBLとでプロデュースしたJAY’EDの曲は、大阪のプロ・スポーツ・チームの会場で今週末、チームの応援ソングとしてお披露目される。それを、清水興さんが見に来る。
僕はこの機会に、ベテランのサウンド・クリエイターの清水さんに、新進気鋭のサウンド・クリエイターのBLという存在を、知ってもらいたいと思う。世代の違いはあっても、本物には本物がわかってもらえるはずだから。大阪って凄いね。

2007年11月05日

語り部でありたい

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8月からこの10月前半まで続いた僕の一連のライヴへの、お客さんたちの感想として共通していることがある。それは、「僕の自作曲(とくに新曲)をライヴで聴いていると、歌詞に描かれている情景が、お客さんの眼前に鮮明に浮かび上がる。」という。

これは僕にとっては、とても嬉しいことです。だって、そうあってほしいと願いつつ歌っていますし、そのための表現をいつも模索して練習していますから。

この沈黙の5年間に、そういう意識が芽生えてきました。

つまり「俺もいつまでも、自分はカッコいいだろう!? 歌上手いだろう!? なんてことを売りにしていたって進歩がないじゃんか。 そんなのは若い奴らに任せておけばいいじゃんか。そんな自己耽溺なアーティスト性や芸風はいい加減卒業しようぜ。いい歳こいて、そんなのはキモイよ。これからは、自分をカッコ良く見せるよりも、自分の歌の中に出てくる有りふれた人々の姿を、生き生きと美しく描き上げようぜ。」と。

それからは、曲の作詞をする時に、自分の内面世界を浮遊することよりも、外の世界の人々の姿を観察したり、人の話を取材のように聞き込んだりするようになりました。歌やパフォーマンスの練習をする時も、以前のように鏡に映った自分がカッコよくセクシーに見えているかどうか、ということは一切気にしないようになりました。今では、練習する時に鏡なんかもう見なくなりました。それよりも、歌詞に描かれている情景を、自分の頭の中に鮮明にイメージしつつ、それをどう表現するかを模索しながら歌う練習をしています。

今の僕は、ソウル・シンガーでありながら、実は民衆の息遣いの語り部でありたいのです。

2007年10月30日

9月のライヴ・ツアー

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この9月に、僕は僕のバンドとともに大阪・名古屋で、そして僕個人で沖縄の那覇でライヴをしてきた。

この3つのライヴに共通していえることは、ライヴに来るオーディエンスや関係者のほとんどが、僕のバンドORITO & The Wild Dandelion で 歌うORITO、あるいはライヴ様式に関わらず、とにかくORITOを初めて生で見るということだった。だから、新生ORITOのライヴの内容も評判もお客さんの入りも、ORITOスタッフにとってもオーディエンスにとっても、「蓋を開けて見なければわからない。」というものだった。

だけど、僕と僕のバンドのメンバーとスタッフには信念がありました。「どれほどのお客さんが来てくれるかは予見できないけれど、僕らがいつもどおりのライヴをすれば、来てくれた人のほとんどは感動してくれるだろう。それが良識ある人たちの心を動かし、きっと次の機会や展開へと繋がっていくに違いない。」という、祈りに近い信念ではあったけど。

蓋を開けてみたら、僕のバンドのライヴはお客さんにとっては、衝撃的にうけとめられたようでした。

どういう感じだったのかは詳しくは書けない・・・くらい僕は無我夢中だった。ただ一ついえることは、このツアー中のどのライヴも、泣いているお客さんのいないライヴはなかったということ。
お蔭様で、次のレコーディングやライヴ展開へと繋がるものになりました。

うちのバンドメンバーも、「修学旅行のような楽しいツアーだった。また、やろう!」と言っています。

2007年08月29日

僕なりの歌の練習 その1

8月の14日の高円寺JIROKICHIライヴを皮切りに、しばらくの期間ライヴが断続的に続く。そのすべてが、僕のバンドのソロ公演かライヴ・イベントのメイン・アクトの1人としての出演。これは、喜ばしいことであり、かつ責任重大なことだから、当然僕はライヴに向けての個人練習やメンタル&フィジカル・トレイニングをすることになる。もうかれこれ25年間も歌い続けてきているけど、これをサボってライヴの舞台に上がる勇気は僕には未だもって無い。これは他のシンガーさんたちも同じことだろう。

ライヴの日が近づいてくると必ず、一時的に僕は様々な重圧感や緊張感や不安感でいっぱいになる。「お客は来てくれるのだろうか?僕はお客を満足させられる歌とパフォーマンスができるのだろうか?このライヴを乗り切るだけの体力と体調を維持できるのだろうか?歌詞を忘れてしまいはしないか?声が出なくなったらどうしよう。興行収支が大赤字になったらどうしよう。こういう重圧を感じている僕の姿が、僕のスタッフや家族に不安感や危機感をもたらしてしまったらどうしよう。」などなど。

こういう重圧や不安感に立ち向かうための、あるいはそういう感情から逃避するための、唯一最大の方策は結局のところ「練習」しかない。本当にこれしかない。

デビュー前後2年間の僕の個人練習は、レコード会社のリハーサル・ルームで行っていた。だが、これはもうやらない。2度とやるつもりはない。なぜか?リハーサル・ルームの設備の行き届いた密閉された空間の中で練習時間がきっちり決められた状況で、独り練習を続けるうちに僕の歌声と歌に対する姿勢が、温室育ち的な脆弱さとサラリーマン的な杓子定規さを帯びるようになり、「引き篭もり」の人間の独白のような閉塞感が僕の歌声に宿るようになってしまったからだ。これは僕らしくないし、これじゃ駄目だと、ある時思った。

このことに気づいてからは、練習の環境と方法をガラリと変えた。

森林や遊歩道の多い郊外に引っ越して、野外で歌の練習をするようになった。しかも、けっして立ち止まらない。近所の森林や遊歩道の中を、歩き回りながら歌うのだ。気分と体の血行がのって来るまでの最初うちは、四季折々の森のざわめきや小鳥たちや虫たちでも眺めながら、鼻歌でも歌いつつぶらつく。そうするうち、心身が高揚してくると僕の歌と足は止まらなくなる。やがて自然と声は大きくなり、歩く速度は歌う曲にあわせてテンポを変える。そのまま、手足を動かして踊ったりもする。野外だから、僕とすれ違う人々や僕を遠目に見る人々が唖然としたり嬉々としたりする。僕は彼らの視線を感じて、恥ずかしさを覚えもするが、その半面彼らに対して「俺の歌、どうよ?いい感じ?俺の歌をタダで聴けて得したね。」などと不遜な思いすら抱きつつ、歌いながらその場を歩き去っていく。

今日は歌の練習をすると決めた日は、天候が雨だろうが風だろうが雪だろうが真夏の炎天下だろうが、必ず野外に出る。だが、練習時間と何を歌うかはその日の集中力次第。高い集中力で練習して、体得したかった表現方法がゲットできた日は、練習を短時間で打ち切るし、体調や悪かったり雑念に苛まされたりしてなかなか練習の成果が見えない日は、6,7時間かけても自分で納得がいくまで断続的に歌い続けるのだ。ライヴが近いからといっても、ライヴの演目を練習するとも限らない。僕が外に歌の練習に行くというと、家族から「じゃ、ついでにスーパーであれとこれを買ってきて。銀行でお金を出し入れしてきて。」と、お使いを申し付けられることも多々ある。そんな場合も、僕はこれを引き受ける。買い物袋を肩から下げたり銀行の通帳や預金を大事に隠し持ちながら、歌の練習をする。家のお使いと歌の練習を一緒にやって、何がいけない?

こういう練習を重ねるうちに、四季折々の自然や天候に晒されぬいた逞しさと叙情性、音楽業界の常識や時間に囚われない開放感、巷にありふれたリアルな生活感が、僕の歌声に宿るようになってきたと思う。ORITOの歌は、こうでなくてはつまらない。

2007年08月24日

バンド・ライヴは やっぱりいいね

ORITO新作配信記念の東名阪ライヴ・ツアーの初日のライヴを、8月14日に東京高円寺のJIROKICHIで行った。

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大盛況だったし、演奏もパフォーマンスも、手前味噌ながらグレイトだった。お客さんも大満足だったに違いない。今の日本にうちのバンドのような、日本語オリジナル曲中心のステージ構成なのに、本場アメリカのかつての黄金期のソウル・レビューのエンターテイメント性をしっかり再現できて、さらに日本古来の風土性・精神性やら現在のHip Hop/R&Bの空気感をもあたりまえのように体現できて、お客さんを心底泣き笑いさせられるバンドは、まず他には見当たらないことだろう。このバンドのライヴを体験してもらえれば、これが大言壮語でないことが、きっとわかってもらえることと思う。

ライヴ当日の僕は、朝から緊張していた。ORITO & The Wild Dandelionのライヴは10ヶ月ぶりだし、そこへもってゲストのJAY’ED(かつてはこのバンドのコーラスだった)がこのバンドで歌うのは3年ぶりくらいだったから。今夜うまくやれるのかな? という不安が、どうしても心をよぎった。

当日のJIROKICHIでのリハーサルを開始する直前に、僕の緊張と不安感はピークに達していた。だが、バンドの皆さんはリラックスした感じで、楽器のセッティングをしたり談笑したりしている。そこへJAY’EDが到着した。彼は3年半ぶりに戻ってきたJIROKICHIの店内を見回して、感慨深げな様子。バンドの皆さんが、久々の再会の挨拶をするJAY’EDを笑顔で迎え入れている光景を見て、僕の緊張感も少し和らいだ。少しの間ブランクがあったが、このバンドのファミリー的な結束をとても嬉しく思えた。

リハーサルが始まって2,3曲も歌うと、僕の緊張と不安はすっかり消えていた。久々の演奏なのに、みんなしっかり僕らのバンドのサウンドと歌声を余裕しゃくしゃくでキープしてくれている。「これだよ。これ!これがこのバンドの世界だよ。」と、嬉しくなった。僕の不安は杞憂だった。バンドの皆さんは「あたりまえじゃん。」みたいな風情でいる。

リハーサルの中盤、JAY’EDがSadieを歌う。かつて彼が愛着を込めてこのバンドで歌った曲の再現だ。彼は、明らかに緊張していた。あら、まあ。3年前にうちのバンドを卒業してから後、クラブ・シーンでメキメキと頭角を現してメジャー・デビューも決まり、今や次世代のJ-R&Bシーンを担っていくはずの超新星と呼ばれる立場にまで出世した彼が、「今日、JIROKICHIで久しぶりに一緒にやらせてもらって、3,4年前にこのバンドで修行させてもらっていた駆け出しの頃の緊張感が甦ってきました。」と、身を硬くして瞳が宙を泳いでしまっている。

僕は自分がさっきまで彼以上に緊張していたことを棚に上げて、「大丈夫だよ、JAY’ED。のびのび歌ってよ。後は俺たちがきっちりまとめるからさあ。」なんて偉そうに先輩ヅラをした(笑)。そんな感じで僕らは和気あいあいと、本番に突入していった。

ライヴ本番のことは、ここではあえて書きません。うちのバンドのライヴがどんな感じかは、実際に会場に体験しに来てもらわなければね。9月1,2日の名阪ツアーを、是非ともお見逃し無く。

さわりだけでも知りたい人は、mixiのORITOコミュで、5分間に編集したこのライヴの映像をご覧あれ。

mixi ORITO コミュ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=328876

2007年08月15日

アル・グリーン

ソウル歌手のアル・グリーンは、僕ORITOの音楽人生最大の英雄・恩人・目標の一人だ。

というより、ORITOという存在は、アル・グリーンという名の「広大にしてまさにエヴァー・“グリーン”な樹海」の中の、小さな樹木の1本に過ぎない。僕はとどのつまり、彼のDNAを受け継ぐ数多の子孫たちの一人に過ぎないのだろう。
その証拠に、これまでORITOの歌う楽曲が発表されると自作・客演作を問わず、音楽評論家さんたちがそれに批評を加える際に、最も引き合いに出された常套句が、やはり「まるでアル・グリーンのような・・・」だった。僕が歌うたびに、誰かがアル・グリーンの名を語るのでした。このことは、この10数年間にわたって変わらない事実。僕自身がこのことについては、デビュー当時は呪縛的な重圧を感じたりもしたし、今に至っても大御所アル師の足元にも及ばない自分の実力についての、やるせなさを感じたりもする。

もちろん、それを誇りに思うこともある。だって、実に多くの他の日本人のシンガーさんたちが、アル師の名曲 Let’s Stay Together をCDやライヴでカヴァーして歌っているのを見聞きしてきたが、彼らはそれでも「アル・グリーンのようだ」とはあまり言われたりはしない。 逆に僕は、アル師のカヴァー曲を歌っていなくても、アル・グリーンっぽいと言われる。それに今の日本では、サム・クックやスティービー・ワンダーやマーヴィンやJBやアレサや、R・ケリーやディアンジェロやジョデシーやジョーや、シャーデーやTLCやローリン・ヒルやアリーヤやビヨンセやミッシー・エリオットの後継者は本当に多いんだけれども、その中でアル・グリーンの後継者と見られているのはやはり僕ぐらいだろう。僕はなんだかんだ言ってもアル師の大ファンなんだから、これを喜ばないのは自己欺瞞であると、ようやく最近思えてきた。呪縛から解き放たれてきた。

ただ、だからこその強い念願もあった。「日本の若いR&Bファンたちに、もっとアル・グリーンのことを知ってほしい。彼の偉大さをわかってほしい。そうすれば僕自身のことも日本の若い人々からもっと評価されるはずだ。」という切なる願いだ。

この僕の念願が、あるいは今度こそ叶うのではと思えるほどの一大トピックが最近舞い込んできた。9月に発売予定のアル師の新作アルバム。これの制作に、アル・グリーンを知らない今の若いHip hop/R&Bファンたちなら知らないはずがない、若手のスター・アーティストたちが参加協力しているという。制作総指揮がザ・ルーツのクエストラヴ、アンソニー・ハミルトン、アリシア・キーズ、ジョス・ストーン、ディアンジェロらが参加しているという。「そうかあ、そういえば彼らもインタビューとかで、アル・グリーンが好きだって言ってたもんなあ!嬉しくなっちゃうなあ!!とうとうやってくれたかあ!!」

よおし、これに呼応して僕もこれから活発化していくORITOの一連のライヴで、必ずアル・グリーンの曲を歌おう。僕なりにささやかにアル師の偉大さを讃えよう。
もしアル・グリーンが来日ツアーをするのなら、一晩だけでも前座をやりたいなあ。

2007年08月08日

ライヴハウス JIROKICHI

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来週8月14日(火)に東京は高円寺にある黒人音楽の老舗ライヴハウスJIROKICHIにて、僕は僕のバンド ORITO& The Wild Dandelionで、ほぼ1年ぶりにバンド・ソロ・ライヴを行う。これには大阪の男性R&Bシンガーの超新星 JAY’ED も1曲ゲスト参加する。僕の東京での新作配信記念ライヴだ。

JIROKICHIと僕は、思えば本当に長いご縁。このお店は開店から30数年間の歴史があるはずだ。それだけでも、凄い!!僕がまだプロのソウル・シンガーを目指しての修行時代に、このお店に初めて出演させてもらった時からでさえ、もう15,6年の歳月が過ぎた。このお店の名前は、僕が上京する前から聞き及んでいた。当時から「ブルースやソウルを演奏して、自らの名を全国に轟かせプロになりたいのなら、まずは東京高円寺のJIROKICHIでレギュラー出演できるようになることが、絶対的な登竜門だ。」みたいなことをあちこちで聞いていた。実際そのころ、僕は客としてこのお店での並み居る出演者の人々のライヴを体験してみて、いつも感激させられたし勉強させられたし憧れを抱かされた。

それで僕も、黒人音楽のプロ・シンガーを目指して上京したときの第一目標を、「JIROKICHIと米軍基地で歌えるようになること」と設定していたものだ。当時の僕の最大の夢だったレコード・デビューでさえ、JIROKICHI出演のそのまた後の目標だった。
僕世代のBLUES/SOULプレイヤーにとっての高円寺JIROKICHIの存在とは、今の日本の若いHip Hop/R&Bプレイヤーにとっての渋谷のclub HARLEMと同じ、あるいはプロ野球選手を目指す高校球児にとっての甲子園と同じ、プロへの登竜門、と言えばわかってもらえるでしょうか。

だから、努力の甲斐あって僕と僕の当時のソウル・バンドが、JIROKICHIのテープ審査に合格して遂にJIROKICHI出演が叶って、このお店の前売りチケットをJIROKICHIのエンジニアのワオさんから初めて受け取った時は、僕はレコード・デビューという大きな夢を叶えるための最初の難関を突破した感激で思わず涙を流してしまい、ワオさんたちを驚かせしまったものだった。当時は黒人音楽で身を立てることは、それくらい狭き門だった。
そしてその後の僕はおかげさまで、このお店で名を上げたミュージシャンの人たちの通例に漏れることなく、レコード・デビューの夢も叶えることが出来たし、僕の名が少なくともソウル・ファンの間では全国に知られることにもなりました。

そして、レコーディング・アーティストとしてのここ5年間の沈黙期間でさえも、一番たくさんライヴをやらせてもらったのも、やはりこのJIROKICHIでだった。このお店は僕の故郷。いろんな事情があって、帰郷できない時期も何度かあったが、やっぱり故郷。

だから、僕はこの度の新作の配信記念ライヴを、このお店で行うのです。
JIROKICHIの皆さんありがとうございます。これからも、よろしくお願いします。

2007年07月27日

ソングライティング

振り返ってみると、僕は一昨年の春に娘が生まれてからこの2年間に、数え切れないほどのたくさんの短い歌を娘のために作って、それを娘に向かって歌ってあげた。その大半は「娘よ。君はなんて可愛い子なんだろうね♪ 今、君と見ているのは○×、キレイだね♪ 今、君と一緒にやっているのは○×、楽しいね♪」という、娘とともに過ごしたひと時を即興で歌ったものだ。そのほとんどを歌った直後に忘れてしまったけど。娘が喜んでくれれば、それでよかったのだ。その甲斐あってか、娘は歌が大好きな子に育ってきた。

なのに、僕はこの2年間、ORITOの歌う歌・あるいはORITO作として他のアーティストさんに提供する歌を、全然書かなかった。だって、この数年間はせっかく良い歌が出来ても、それをORITO名義で形に残し世に出すことができなかったのだもの。最近、ようやく配信リリースされ、好評を得ている僕の新作「感謝の歌」や「メイフィールド」ですら、それらを書いてから3年以上にわたって日の目を見ずに、ある時期にはもうこれは流産かもしれないという有り様だったのだから。この2年間は、それでもたまには歌想が湧いてきて歌作りに取り掛かると、すぐに「もしこれが良い歌だったら、俺はせっかくの良い歌を世に出せない悲しみとやるせなさを、またさらに一つ抱えることになるのか。」と思えてきてしまって、結局は歌作りを途中でやめてしまった。そういう2年間だった。

ようやく今年になって、新作や客演作を再び世に出せるようになったので、僕はようやく歌作りをする意欲が復活した。「本当に良い曲なら、たとえ時流による妨害を受けようとも、いつかは世の中に認めてもらえるものなのだ。」ということが、あらためてわかったから。

僕にとってのソング・ライティングというのは、文章が好きな人が日記や手紙を書き、絵が好きな人が絵を描くのと同じで、対象の描写や心象の表現に没頭する行為そのものが、僕には一種の精神的セラピーなんだと思う。そして、そうした自身への慰安行為を通じて生まれた数々の歌のうちの、ごく一部の歌は、心を込めて人様に贈りたい僕からの贈り物となる。そしてさらに非常に稀にではあるけれど、僕からの贈り物というよりもむしろ、僕が神様から「これを汝から人々に届けるように。」と授かった神託であるかもしれないと、思うことすらある。これは勝手な思い込みもはなはだしいが、これくらいの信念がないと、自分の書いた歌を人に楽しんでもらおうなんて大それた行為は、なかなかできやしないのです。そんなわけで。

最近、大阪のソウル・バーMarvinのまびマスさんのために、僕はMarvinでの投げ銭ライヴの最中に、彼の書いた歌詞に即興でメロディーをつけ歌にしました。J-R&B期待の新星 JAY’ED君のためにBLUESを書きました。これらの2曲は形に残り世に出ることになるでしょうか。さて、さらに僕はORITOの歌う歌を久々に書いてみようと思います。そしていつか、人々に親しみをもって口ずさんでもらえる童謡を神から授かりたい。

2007年06月27日

ライブ

数年ぶりに新作を発表したのだから当然と言えば当然だが、おかげさまで最近僕のライヴの機会や引き合いが増えた。

今後もライヴの予定が既に幾つか決まっている。今週末の大阪の2軒のSoul Bar での弾き語り投げ銭形式のソロ・ライヴ、僕のバンドORITO & The Wild Dandelionでの配信記念の東名阪ライヴ・ツアー、初めて訪れる沖縄でのSoul のイベントへの出演などだ。

目下企画準備中のファンク・バンドFreefunkとのライヴ・イベントや、新進鬼才R&Bディーヴァのタイラヨオちゃんの主催するライヴ・イベントにも、出演する予定でいる。もちろん、僕の新作を配給するレーベル音韻王者RECのイベント出演も今後も続く。さらに、現在僕が知っているだけでも、福島、鹿児島、茨城など、日本各地の熱心なORITOファンの人たちが、ORITOのライヴ招聘に動き始めてくれているそうだ。皆様ご存知のNHK-FMのあの番組の次回の公開ライヴ特番にも、僕の出演の話が進行して行く気配も見えてきた。この他にも今後僕のライヴは増えていくだろう。また、そうあって欲しい。
どうやら、各地・各方面のORITO支持者の人たちの「ORITOのライヴを見たい。見せたい。」という思いが、僕の数年ぶりの復活と歩調を合せるようにして、同じく再起動してくれているようだ。そしてさらに、僕のことを最近新たに知った人たちも、「一度は生ORITOを体験してみたい。彼のライヴは、いったいどんな感じなのだろう?」と思い始めてくれているようだ。僕自身も、「自分の真骨頂と本領はライヴにあり。」と自負しているから、このライヴ気運の高まりは、実に嬉しいことです。

僕のライヴ・パフォーマンスは、その時々のさまざまな状況(会場・客層・演奏形態・イベントの形式など)に臨機応変に対応して実に変幻自在なので、「僕のライヴは手短に言って、いつもこれこれこういう感じですよ。」と、自身で語るのは非常に難しい。僕のライヴ演奏形態一つをとってみても、ソウル・ライヴの様式美そのままにバンドをバックに歌うこともあれば、クラブ系のイベントではオケのトラックをDJにプレイしてもらって歌うこともあるし、Barではギターやピアノだけをバックに歌ったり、時には一人で弾き語りもやるし。要は、実際に会場に来て体験してもらうしか、説明のしようがないのです。
二つだけ、僕のライヴ活動でいつもはっきりしていること。それは、僕には、ライヴ会場にきてくれた人たちの心と体と日々の暮らしに、心を込めて直にお届けしたい幾つかの歌がある、ということ。そして、ライヴで僕のお届けした歌を楽しんでくださった人々から有り難く頂戴した幾ばくかのお金と土産話を、家で僕の帰りを待ってくれていた僕の家族に手渡しつつ語って聞かせること。ライヴで毎回、この二つのことをなし終えた時の、しみじみとした充実感。それが僕を、今でもライヴへと駆り立てるものなのです。

僕のライヴ、一度は見に来てやってくださいよ。きっと楽しめますから。

僕をライヴに、一度は呼んでやってくださいね。きっと馳せ参じますから。


*ORITOを貴方の町に呼んでみませんか?ORITOライブへのお問い合わせはoritosoul@ses-i.bizまで。

2007年06月11日

ラジオ

僕の新作の配信開始にタイミングを合わせて、最近二つのFMラジオ番組に出演してきた。
どちらも、楽しく収録できたし番組の内容も満足できるものになった。

一つは ミュージックバード/コミュニティFM全国43局ネットの「大西貴文のThe Nite」。
パーソネルの大西さんとは初対面だったが、彼は以前から僕のファンで、僕の経歴や過去の作品を熟知していた。また日本のR&Bについての見解が、僕と彼は完全に一致していたので、僕は初対面の彼にたいして旧友と久々に再会したときのような感覚になった。
大西さんとは、また会いたい。そして、会うことになるだろう。

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もう一つは、NHK-FM の「ザ・ソウル・ミュージック」のORITOスペシャル企画。パーソネルのオダイ・ジュンコさんをはじめとするこの番組のスタッフの方々と全国のリスナーの人々に、僕はこれまでも何度励まされてきたことか。そして今回もそうだった。オダイさんが番組の収録中に何度も「ORITO君のこの新作が、こうして世に放たれるのを、全国の番組リスナーともどもずっと期待し続けていたのよ。そして、期待していた以上の出来栄え。待ち焦がれていた甲斐があったわ。」と語ってくれた。そして収録中に(これはオンエアされてないが)、普段は底抜けに明るくパワフルな彼女が「感謝の歌」を聴きながら、「この新作は2曲とも本当に素晴らしい。お子ちゃま向けに商業化されてしまったここ数年の日本のR&Bシーンの中では、ORITO君のような大人のソウル・シンガーはどうしても苦境に立たされてしまうから、制作発表の実現までは本当に大変だったでしょうね。でもそれに負けずに、よくぞここまでの名曲を生み出してくれたわね……。ORITO君とこの名曲が、今のこの日本の国に生まれてきてくれたことを、あたしたち日本のソウル・ファンのほうこそ感謝しなくちゃいけないわね……。」と、僕の目の前で静かに涙ぐんでくれた。

ちと、褒められすぎなのだが…。

思いもよらず初めて見た、オダイさんの涙には、僕もじ~んと来てしまった。オダイさん、ありがとう。これからもよろしくね。

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さて、今後も僕の新作をラジオで少しでも多くオンエアしてもらえるようにということで。一昨日僕は、日本屈指のファンク・バンド Freefunk のリーダーの桜谷俊文君の協力を得て、急遽、感謝の歌(原曲の尺は7分半)と夏に配信開始予定の Our Beat(原曲の尺は5分半)のラジオ・オンエア用短縮ヴァージョン(業界用語ではRadio Editという)を編集してきた。FMやAMラジオでは、曲の尺が5分以上あると、それだけでなかなかオンエアしてもらえないからだ。既に、ラジオ業界の幾人かのキー・パーソンの方々から、僕の新作のRadio Editが出来たなら、ラジオでのオンエアを積極的にやるよ、と言ってもらっている。そんな暖かい人々が、ラジオ業界にはいまだにいてくれるのだ。

ラジオっていいね。21世紀初頭の現在、もはやラジオは最先端のメディアではないのだろうけれど、今でも僕はラジオが好きです。いいものはやっぱり、いつまでもいいものだからね。できることなら、僕の歌もそうありたい。

今後のORITOのラジオでの展開に、ご注目!! もとい! ラジオだから、ご注耳!! 

2007年05月31日

俺の心にもまた春が来たよ

新作の配信が始まってほぼ1週間がすぎた。忙しい日々だが、心は長閑(のどか)だ。この3年間は、是が非でもこの新作を世に出さねば!という悲願と重圧がいつも心にのしかかっていた。この重圧に潰されそうになったこともしばしばだった。
この新作がこうして世に出たから、ようやくとりあえずは悲願の第一段階は達成。重圧からも解放された。これからまた、歳月をかけてこの新作を多くの人々に届けなければならないが、それはじっくりと時間をかけてやればいい。
ハードな日々だが、今の俺の心は実に長閑だ。この曲:メイフィールドの主人公のように。

メイフィールド       作詞・作曲:ORITO
  
人呼んで五月野(さつきの) 横文字でメイフィールド
それが俺の生きる農場  君とはぐくむ生命工房
汗まみれで種を蒔いて 泥にまみれた腕を抱いて
君の色気 今宵も上々  土の恵み 今年も豊穣な
#  メイフィールド 一年中 愛の有機栽培祭
   おお 長閑なる メイフィールド 悦びの培養祭
 
雪解けのせせらぎ  待ちぼうけの授かり
冬の寒さの遠のく黎明  産声あげた尊い生命
「俺たちの愛の結晶を、爺ちゃんと婆ちゃん、子守頼むぜ。
 今日も二人で一生懸命 五月野を耕すぜ。せっせと。」
# repeat

(rap) 蒔いたお豆が芽を出す  開いた双葉 茎伸ばす
   ポテト・トマトにゃ腐葉土 は農協さんからの勧め 味なんかも美味え
   ここ数年間ずっと真夏になったなら 猛暑
   この日照りで凶作になっちゃったら どうしよう
   ホウレン草ほろ苦 枇杷の甘みが  渇ききった喉 潤わす
   ニンジンのβ-カロチン 森林のくれたカモミール
   抱き上げる赤ん坊  こみあげるよ 感動
疲れきった男を癒す  すさみきった心も癒す

かあちゃんのためなら どんな労苦も お茶の子さいさい
仕事から帰れば 赤ん坊抱き上げ 「ほーら、高い!高い!」
都会に疲れた人なら 誰でも 千客万来
俺が死んだ時ぁ この五月野に どうぞ埋めてください
ooh  We live in this Mayfield

君もあんまり無理すんなよ 休み休みやればいいんだぞ
日暮れまでの この重労働  風に吹かれ ほのぼのと
訪れる旅人に もぎたての野菜を振舞おう
一期一会の番茶をどうぞ  辛い日々への挽歌をどうぞ
# repeat 2 times

2007年05月21日

いよいよ配信開始

今週末からUSENのONGENで、来月末からはI-Tunesで、僕の新作「感謝の歌」と「メイフィールド」の配信が開始される。このことを色々な人々に感謝したい。とりわけ、この録音制作に参加・協力し、これまでもこれからもライヴ活動を共にしてくれる僕のソウル・バンド ORITO & The Wild Dandelion の人たち:星川薫さん(G)、Cozy三浦さん(Dr)、池間史規さん(B)、中道勝彦さん(Key) 、山本一さん(Sax)、TOMICAさん(Vo)、高橋篤さん(Vo)、コーディネーターの六川正彦さんに。
このバンドは今の日本で最高レベルの純和製ソウル・バンドだと、僕は自負しています。「感謝の歌」の音源が、それを証明してくれるでしょう。
今日はこの場を借りて、感謝の歌の歌詞をご披露します。

感謝の歌                  
作詞・作曲:ORITO

君に感謝しなくちゃね  いつだっていたわってくれるからね
それだけじゃなくて 三度三度の お飯 ‘n’まんま  暖かい手料理を
君に感謝しなくちゃね 感謝しなくちゃね

俺は反省しなくちゃいけないよ  時々踏みにじってしまうからね
あの あの あの 麗しい 君の真心を
今は反省してるよ ごめんね ごめんね

君は俺だけのお嬢さん  泣かれちゃうと辛いので降参
こんなハッピーな出会いこそ財産  この運命のキューピッドを礼賛
今日からは君が奥さん  注ぐ愛情はいつでも沢山
辛い夜にはともに忍耐  明るい朝をともに迎えたい

ほんと、ありがた過ぎて 涙が止まりません
ほんと、幸せ過ぎて 涙が止まりません

君を大切にするからね いい加減な俺だけど そのくらいは 誓うよ
あの有能な 有能な 君の前の彼氏よりも  大切にするよ 君のこと 誰よりも

猫大好きな二人のために 大家さんが特別に許してくれたニャンコ
「あーら お茶目で可愛い子猫ちゃんじゃない 可愛がってあげなさい」
 
ほんと、ありがた過ぎて 涙が止まりません
ほんと、幸せ過ぎて 涙が止まりません    repeat 2 times

おお ありがたい おお 美しい  まんざらこの世の中も捨てたモンじゃない
こんな俺でも なんとか今日まで この世に生きてこられたことを感謝したい
あの人に 兄弟に 父に母に 友人に 先生に そして神に 海に 太陽に 森に
子供たちに
そして愛する人よ そして誰よりも 君に
ありがとう

2007年05月01日

草の根プロモーション

5月末に配信を開始する僕の新作「感謝の歌」と「メイフィールド」の草の根プロモーションを開始したのが3月の下旬。もう1ヶ月以上にわたって僕と僕のマネジメント兼レーベルの(株)エス・イー・エスの鈴木さんとで、あちこち音楽業界やメディア業界の人々、ソウル・バーなどへ、新作のサンプル音源や紙資料を送ったり、アポをとって会いに行き音源や話を聴いてもらったり、時には歌ったりしている。これは、これからもまだまだ続く。一人でも多くの人々に、この2曲をお届けしたいからだ。
自作のプロモーションのために、僕自身がアポをとり、応援を請いに人に会いに行くなんてことは、95年のデビュー以来初めてのことである。僕はこれまでメジャー・レーベルにいたので、こういうことはレーベルのディレクターや宣伝部の人々にお任せいていたからだ。僕と鈴木さんが現在やっているような、いわゆる“足で稼ぐ”プロモーションは、いかにも新興のインディー・レーベルならではのものだ。結構、大変ですよ、これ。
だが!だが!だが!
これが、実に楽しく、勉強になり、視野やネットワークが広がり、人様の暖かい恩情を感じ、やっていて面白いし言葉に尽くせぬ充実感を感じるのだ。正直言って、今の僕は毎週1,2日のこの草の根プロモーションで、いろんな人に会い、彼らのお話を聞くのを楽しみにしているだけでなく、今の大変な日々を乗り越えるための心に支えにしているくらいだ。
なぜか?理由は二つ。
一つ目は、僕の新作が非常に好評で、お会いしてくれた人々が皆、自発的に協力を買って出てくれるから。これには本当に、励まされるのです。
もう一つは、お会いしてくれた人々が、印象的な言葉や味わい深いお話を聞かせてくれるからだ。それが、今の僕にとっては、最高のエンターテインメントなのだ。それらの話の全部はとても書き切れないが、僕が彼らの言葉の中で特に印象に残った言葉を二つ、今回はここに書こう。
「この曲には哀愁があるねえ。こういう真の哀愁というのは実は、夢を追う人にしか出せないものなんだよ。マーティン・ルーサー・キング牧師の演説が、そうだったように。」
by あるラジオ番組制作会社の社長さん
「本当のシンガーっていうのは、売れていようと売れていまいと、常に歌い続けている人であるから、いつでも歌えるように、喉や体が自然と鍛え上げられているわけですよ。そこのところが、役者さんやモデルさんが副業的に歌うのとは、根本的に違うんですよ。」
byインディー・レーベル兼ライヴ・ツアー・コーディネート会社のプロデューサーさん

お会いしてくださった皆様。ご協力と応援と、滋味深いお言葉に感謝します。

2007年04月10日

大阪のソウル・バー Marvin

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大阪のソウル・バー Marvin は良い所です。僕が唯一“素”のままで歌わせてもらえる貴重なお店なのです。僕がこんなに寛いで、お客さんとも普通に会話をして、そしてその時々の思いつきで好き勝手に歌い語るライヴ・スポットは他にはありません。
こないだのライヴなんか、僕は風邪を引いて声があまり出なかったので、「感謝の歌」を歌うことを止めて、この曲のオケをバックに「ORITO 我が父親を語る」というゴスペル・プリーチと講談を混ぜ合わせたような、新境地の芸風を生み出させてもらった。
昨年暮れに、僕のマネジメントやレーベルとの大阪での会合の後、ふらりと立ち寄った感じでマスターの林(通称:まびマス)さんのギターを借りて、“流しのお兄さん”風にソウルを弾き語りさせてもらった。これが自分でもやたら気持ちよくて、お客さんのウケも好かったので、気がついたらその後これがほぼ1月半毎の定例ライヴになっている。そして、お客さんから暖かい拍手と「投げ銭」を貰う。毎回これには心が温まるのです。Marvinは今や、僕の関西方面での草の根PR活動の砦のような場所になっている。
カレー・ライスも美味しい。僕の苦手な ソウル・おたく なお客さんが、このお店にはあまり見当たらないことと女性率の高さが、これまた嬉しい。
こういう諸々の、他のソウル・バーとは一線を画すMarvinというお店の個性と心地良さは、やはりマスターの林さんの気取らないお人柄と、高潔なポリシーと、ソウル・ミュージックに対するオープンで夢にあふれた姿勢が、生み出したものだと思えてならない。
ここでは詳しくを書けないけれど、林さんは今、大阪を舞台にした日本ソウル・ミュージックの新展開を構想していらっしゃる。これには、僕もなんかの形で参加するつもりだ。なぜ東京在住の僕が、これに参加するのかって?
理由は簡単。 面白そうだから。ワクワクするから。 それだけのことです。それだけのことなんだけど、ここ数年こういうワクワク感を日本のソウル・バー関係者の人から感じさせて貰えなかった。Marvinの林さんには、夢追い人であり続けてほしい。これからもずっと。

4月21日土曜日 午後9時半より ORITO LIVE @ Marvin 皆様のご参加お待ちしております。

2007年03月23日

音韻王者REC.お披露目ライヴ・イベント

先週の金、土に、名古屋と大阪にライヴに行ってきた。5月に配信開始予定の「感謝の歌」と「メイフィールド」の先行のお披露目だ。
16日(金)の名古屋は、僕のこの2曲をリリースするDJ刃頭率いるインディーズ“音韻王者REC.”のレーベル本格オープン記念のクラブ・イベント。今後名古屋で毎月1回恒例となるイベントの初回だ。僕は3年くらい前まではクラブ・シーンでDJプレイによるトラックをバックに頻繁に歌っていたが、その後から現在までは、僕の本来のライヴスタイルであるバンド演奏をライヴハウスやホールで行なう様式のほうにライヴ活動の中心を戻していた。その結果生まれた曲が「感謝の歌」と「メイフィールド」なのだが、これを今回初めてDJ刃頭のプレイに乗せてクラブ・シーンで歌った。ダンス・フロア向けとは言いがたいこの2曲が、はたしてクラブ・イベントに集まった若いお客たちに、はたして受け入れてもらえるのかどうか正直言って不安だった。刃頭君をはじめとする音韻王者RECのスタッフの人たちの、「この2曲はクラブ・シーンという枠を飛び越えて多くの人々の心に届けたい。まずは今夜のクラブ・イベントから、その第一歩を始めるだけのことです。」という熱意の言葉を心の支えとした。
その日は朝から風邪を引いたらしく少し体調が思わしくなかったので、リハーサルを終えると僕はホテルの部屋で3時間以上休息をとった。休息といっても、やはりライヴのことが頭から離れない。悶々とした孤独な時間が過ぎた。僕がクラブ・イベントに出演する時はいつもそうだが、この夜も自分の出番の3、40分前に会場入りした。深夜1時半頃会場に入ると大御所 刃頭師のDJタイム中。会場は盛り上がっている。彼の熱くて奇想天外なDJプレイにあわせて、楽屋で僕も体を揺らして気持ちを高めていった。風邪気味だということなど、この時点ですっかり忘れてしまっていた。

そしていよいよ僕の出番。まずは僕の往年のクラブ・ヒット曲で、お客と自分自身をその気にさせていく。そして刃頭君と僕が過去にコラボした曲へと続く。お客のノリは元気いっぱいだ。この流れで、ほぼ会場全体をニューORITOの磁場の入り口へと引っ張ってこられたと思う。そして、ひとしきり新曲と音韻王者RECのことをMCしたあと、メイフィールドを歌った。僕はこの曲をライヴで歌うときはいつも、イントロでお百姓さんが鍬で畑を耕して額の汗を拭う様子を全身で演ずる。あるいはこの土臭いパフォーマンスのせいで、目の前の若いお客の抱くこれまでのORITOのイメージが崩れ落ち、失笑を買うかもしれないという不安で、この時がこのライヴ最大の緊張の瞬間だった。不安は杞憂に終わった。お客は食い入るように僕の歌とパフォーマンスの描く、五月野農場の長閑な光景の中に入り込んできた。僕がフックの「メイフィールド♪」というフレーズを歌うと、お客は初めて聴くこの曲をまるで以前から聴き込んでいたかのように、「メイフィールド♪」とコーラスを合掌した。目の前のこの光景が、僕には信じられなかった。その直後から僕は完全に忘我の世界へと入っていった。だから次の感謝の歌やLife Time Storyのライヴの光景があまり思い出せない。おぼろげに憶えているのは、感謝の歌を歌っているとき、感謝の歌はスウィートでもロマンティックでもセクシーでもない生活感丸出しの泥臭いド演歌ソウルなのに、なぜか若い女の子たちがキャーキャー叫んでフロアからステージ上の僕に握手を求めてきたことを不思議に思ったこと(もしかすると僕ORITOはソウル界の 氷川きよし なのかも?)や、曲の後半のアドリブ部分で僕は「…に感謝したい!」と繰り返し歌うたびに、お客が「イェー!」とか「おー!」とか叫んで、それがまるで黒人教会ミサでの牧師と信者のコール&レスポンスのようだったことだ。10分近くのロング・ヴァージョンを歌い切ると、何人かのお客が涙ぐんでいるのがステージから見えた。
ステージが終わり楽屋に戻ると、ひっきりなしにお客やイベント出演者たちが僕に「感動しましたー!」と言って握手を求めてきた。僕は半ば放心状態だったが、「クラブでも俺の新曲、全然イケルんだなあ。」と実感した。その後、刃頭君やうえP君といった音韻王者REC.の人たちとも、「こりゃあ、イケルよ。これからが楽しみだよ。多くの人々に俺たちの音楽が届くように、これからもがんばろうよ。」と肩を叩きあって、僕らの新たな船出を祝ったのでした。

次回は大阪のこと、特に最近お世話になっているソウル・バー Marvin のことを書きたいと思う。

2007年03月09日

Giant Swing Deli 後編

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録音制作は午後3時から始まった。Kura君(以下K君)とMichicoちゃん(以下Mちゃん)との再会の挨拶は3年ぶりの再会なのに、お互い日常的に会ってきた者同士のような実にあっさりとしたもの。旧知の仲ってそんなもんだ。そして彼らと僕はいきなり本題に入っていった。

歌詞のテーマを決めるために、Mちゃんが僕に「ORITO(以下O)さんにこの数年間に起こった、人生や世の中についての心境や価値観の変化を教えてよ。それをJ-R&Bの先駆者OさんとGSPからのエヴァー・グリーンなメッセージとしてこの曲に託して、今の若いリスナーたちとシンガーたちに贈りたいから。」と質問してきた。僕は内心「やっぱり、そう来たか。この曲はスウィートなラヴ・ソングでは済まされないだろうなとは、思ってた。」と思い、僕の今の偽らざる心境を包み隠さずK君とMちゃんに話した。
「俺も俺なりに若い頃は音楽の世界で、メンフィスでの録音とか他にも様々な特殊な出来事を体験してきた。それを体験して、平々凡々たる人生では味わえない苦労や感動や栄光も味わった。若い頃は、自分が音楽を通じてそういう体験を重ねたいと強く望んでもいたし、自分にはそういう特別な才能や運があるんだと思い上がってもいたしね。この世界に憧れて足を踏み入れてくる人って、みんなそうでしょ?

でも今の俺はね。やっぱ“普通が一番だ”と心から思うのよ。俺の半生を振り返るとね。一番感動的で嬉しかったのは娘が生まれた時だったし、一番祝福されたのはカミサンとの結婚式だったし、一番気持ちよかったのはセックスだし、一番大変だったのはお金のやり繰りだしね。この先の人生で、一番楽しみなのは娘の成長だし、一番辛いことと思われるのは妻や親兄弟との別れのはずだ。これらのことって結局、誰もが体験する平凡なことだ。
いやいや、俺には歌という特別なモノがある!と自分勝手に思い込んでみたってさ。考えてみれば、歌なんて誰だって口ずさむものじゃんか。結局俺にとっては、最高の事って特別な事の中にではなくて、実は平凡なありふれた事の中にこそあったんだよ。俺は自分が特別でありたいと思ってきたけど、やっぱり自分も平凡な人間だったと、3年くらい前から気付き始めたんだよ。そして、そういう自分自身の平凡さに幻滅するどころか、むしろ安心を覚えたんだよ。結局俺のこれまでの人生なんて、“普通が一番・平凡こそ最高”ということを心底思い知る為に、あえてその正反対の特殊な音楽の世界でドタバタを演じてきた、ということだった。俺はこのことに気付くことができて、今は幸せだ。」
「なんかそれ、すっごくわかるなあ。それでOさんが、そういう心境になるためのきっかけって、やっぱり…?」とMちゃん。K君も傍らで僕の話しを聴いている。「カミサンとの結婚生活と娘の誕生だ。ありきたりの話の展開で申し訳ないけど。」と僕。「そんなことないよ。あたしたちも、そういうことをこの曲で伝えたかったんだと思う。決まりね。この曲のテーマは、これでいこう。」と、K君とMちゃんは早速スタジオワークを始めた。

それからの制作作業のことは、あまり憶えていない。僕ら3人は、本人たちにも信じられないくらいのスピードで、作詞・作曲から、歌とコーラスの収録から、テイクの編集にいたるまで全ての仕事を、ごちゃ混ぜの進行手順で仕上げていった。その間にも、友人同士としての談笑やら近況についての愚痴のこぼし合いやら、弁当タイムやらも併せて。その間、K君やMちゃんが「こういうナチュラルな時間の流れのレコーディングが、ずっとやりたかった。こういう大人同士の制作作業と曲がやりたかったんだよね。ソウルだねえ。これぞSOULだよねえ。」という言葉を嬉しそうな顔で何度か発しているのを、僕は聴いた。

気がついたらスタジオ入りから8時間後の夜11時には、このLife Time Storyという曲は出来上がっていた。早いのなんのって…!。
今しがた産声を上げたこの曲を聴く僕ら3人は、静かな感動と歓びに包まれた。僕ら3人は「この曲は傑作だよ。それにすっごく楽しかったね。だけどあんまり早く出来上がっちゃって、なんか寂しい気もするね。また一緒に何か作ろうよ。そう遠くない未来に必ず。」と語りあった。

このLife Time Storyと、この曲を手始めとする今後の僕ら3人のコラボに期待して


試聴サイト
http://mora.jp/artist/80307944/AV999999012/

i tune store
http://phobos.apple.com/WebObjects/MZStore.woa/wa/viewAlbum?playlistId=217399969&s=143462&i=217400140

2007年03月07日

Giant Swing Deli 前編

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本日3月7日、僕がLife Time Story という曲で客演したアルバム Giant Swing Deli が発売された。これは日本が世界に誇るR&B鬼才プロデューサーT・Kura、またの名をGiant Swing Production(GSP)名義のコンピ・アルバムだ。今回はこの制作にまつわるお話など、ひとつ。

昨年8月のある日の昼、アトランタ在住の旧友Kura君から久々に僕に国際電話があった。彼の制作するコンピ・アルバムで1曲ゴスペルっぽいR&Bバラードを歌ってほしい、それはきっと、まさに「ORITO節」に仕上がるからとのことだった。僕はその時は、現在のようにORITO復活のメドも何もたっていない停滞状況だったので、「うわあ、喜んでやらせてもらうよ。でも、Kura君。正直言うけど俺はレコーディング・アーティストとしては、ここ2年以上ほとんど休業状態。ライヴしかやっていない。そんな俺が、今や日本R&BシーンのVIPプロデューサーになったKura君の作品にホントに出させてもらってもいいの?」と謙虚に彼に尋ねた。彼は「そんなご謙遜はやめてよORITOさん。たとえ最近は表舞台に出ていなくても、日本ではORITOさんみたいなシンガーは他にいないからねえ。久しぶりにコラボさせてよ。」とのこと。ほぼこれだけの会話で参加が決定。今振り返れば、この時がその後から急展開していったORITO復活プロジェクトの幕開けだったと思う。

それからしばらくして、彼から曲のバック・トラックが届いた。それを聴いて、「こりゃあ確かに俺にドンピシャだぜ!しかしKura君がこういうダウン・ホームなトラックを創るとは。これはリスナーにとってはサプライズだろうな。」と面白くなってきたので早速彼に「これかなりイイじゃん。さて、この曲の歌メロや歌詞は俺が用意しておくのかな、それともGSPでやるのかな?」というメールを送った。すると翌日彼から「それは録音当日、僕とMichicoと ORITOさんとの、その日のインスピレーションでソング・ライティングしながら併せて歌も録音していきます。録音時の新鮮な感覚やノリを大切にしたいから、できれば録音当日までこれ以上トラックを聴かないでください。」という返信があった。
僕はそれを読んで正直ぶったまげた。録音当日まで歌詞も歌のメロディも作らない、トラックも聴かないままでスタジオ入りする、なんていう音源制作は初めてだ。当然、事前に歌の練習のしようもない。これには不安も感じたが、「ま、なんとかなるだろう。いや待て、なんとかなるのかな? ま、いいっか?彼らと俺が揃えば、きっとなんとかなるだろうよ。」と開き直ることにして、彼に了解のメールを送り、トラックは2回聴いただけでそれ以後は彼からの指示のとおり録音当日まで聴かなかった。ただただ、Kura君とMichicoちゃんとの3年ぶりの再会と8年ぶりのコラボレーションを心から楽しみにしつつ。

そして2006年10月7日。録音制作の日がやってきた。 
この続きは次回。これをお読みのあなた、今日はまず、この曲を試聴してくださいね。

試聴サイト
http://mora.jp/artist/80307944/AV999999012/

i tune store
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2007年03月01日

I-DeA君のソウル・カヴァー・アルバムに客演

一昨日、僕は都内の某スタジオで、日本のR&B/Hip Hopの若手の鬼才プロデューサーで“Edit Master”の異名を持つ I-DeA(アイデア)君のアルバム作品への1曲を、歌とカズーの演奏で録音してきた。この作品は、アメリカの70年代から80年代のソウル・ミュージックのカヴァー・アルバムで、4月に徳間Japanから“Recover”というタイトルで発売される予定。僕の他に参加しているシンガーは、Jay’edやJamosa等といった現在の国内クラブ・シーンでブレイク中、あるいは今後のブレイクが期待される若手シンガーばかりだ。参加者中ただ一人の非若手の僕はI-DeA君からの提案で、Patrice Rushenの歌う往年のディスコ・ヒット曲の Forget Me Not を録音した。

こういうカヴァー曲の制作に大切なのは、オリジナル曲の質感を損なわぬようにしつつ、カヴァー制作スタッフ(今回の場合はI-DeAとORITO)の個性も光らせる、ということだろう。Patrice Rushenは女性シンガーで声も優しく哀愁を帯びたところが魅力なので、僕はそんな彼女に敬意を表して、自分の歌声の中で最も彼女の歌声にムードが近いと思われる「ファルセット(裏声)」をメインに歌入れをすることにした。

I-DeA君と録音仕事するのは、彼が録音エンジニアとして参加したDJ刃頭の2作品での僕の客演を含めて、これが3度目だ。お互い気心も知れているし録音の進め方もわかっているから、やり易いのなんのって。だから、オリジナル曲に忠実に再現すべき箇所、つまり「押さえどころ」の歌など、わずか30分ほどであっさり録れてしまった。
「さてと。I-DeA君。時間はまだたっぷりあるし、押さえどころはちゃんと押さえたから、ここから先の歌入れは自由にやろうぜ。俺がやり過ぎたら、ストップしてくれて構わないし編集の段階でボツにしてくれていいから、あとはしばらく俺に遊ばせてくれよ。」と僕。

I-DeA君の反応も、どうぞどうぞ!みたいな感じだったので、それからは、マーヴィン・ゲイみたいな多重バック・コーラスやら、プリンスみたいなシャウトするファルセットやら、ディアンジェロみたいな煙いフェイクやらを重ねていった。そうするにつれて、I-DeA君や録音エンジニアの人がどんどん笑顔になっていくのがわかったので、根が芸人の僕は、「それでは、これもご披露しましょうか?」と、ついには伝家の宝刀 カズー を取り出し、曲の間奏で予定外のカズー・ソロまで披露するという展開にまでなった。
そうやって1時間半ほども十分に遊ばせてもらったところで、「それじゃ、I-DeA君。あとの編集は大変だろうけど、よろしく頼むね。今日は楽しかったね。また一緒に仕事しようぜ。いやあ遊んだ遊んだ。」と笑顔でスタジオをあとにした僕であった。

I-DeA君は、僕が膨大に録ったテイクのデータに困惑するどころか、むしろニンマリしていた。これをどうEdit(編集)するかが、Edit MasterことI-DeA君にとっての仕事であり遊びなのだ。がんばってね & 楽しんでね、I-DeA君。

2007年02月27日

アーティスト写真撮影

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19日に大阪へ行って、5年ぶりにアーティスト写真を撮ってもらってきた。感謝の歌 や メイフィールド という自作の新作だけでなく、3月発売の エイベックスからの Giant Swing君 や 4月発売の徳間JapanからのI-DeA君のアルバムへの客演をしたので、急ぎ現在の僕の風貌を撮っておく必要ができたからだ。

今回は「自然の中で、ジプシーな感じの僕をとって欲しい。モロに黒人もどきでストリートで“男汁”タラタラの若いR&Bシンガーのような感じには、もはや僕にはちょっと…。」という僕の希望を、マネジメントの方々やヘア・デザイナーさんやカメラマンさんが、暖かく理解してくれて、大阪の北のほうの緑地公園での撮影ということに。初対面の自称ハードロック好きのヘア・デザイナーさんがやたらノリまくっていて、僕は鏡の無い部屋でまったくおまかせで髪を切られている間、内心どんな髪形になるのか不安もあったが、出来てみると僕の好きなボブ・ディラン風だったので嬉しかった。ソウル・シンガーORITOの髪をハード・ロック命のヘア・デザイナーが切って、できた髪型がフォークの神様のようだったとは、これいかに?

その日は、雨男の僕には珍しく、暖かな好天に恵まれ、柔らかい日光のもと実にほのぼのとした撮影だった。写真に写った僕もやはり、表情やポーズが柔らかくなっている。こんな自然体のアーティスト写真の撮影は初めてだ。やっぱ、お日様の下は良いです。変にカッコつけすぎていないのが、いかにも今のORITOらしくて、僕は写真を見ながら「うんうん。これでいいのだ。」とバカボン・パパみたいな独り言を言った。「これなら、ナイスなオヤジ・シンガーの仲間入りができそうだぞ。」と…。

僕が客演したGiant Swing君やI-DeA君のアルバムは、どちらも現在売れっ子のあるいはブレイク中のいかにも今風の若いR&Bシンガーたち(ORITOを除けば)が多数参加した作品なので、アルバム・ブックレットの中に載る若いシンガーたちの今様のR&B的カッコ良さキメまくりの中で、僕ORITOの写真は唯一なんらかの異彩を放つことだろう。早い話、ちょっと浮いてしまうだろう。「うんうん。それでもいいのだ。」(笑)
このブログをお読みになった貴方。 よろしければ、このGiant Swing と I-DeAのアルバムをご購入いただき、ORITOは他のシンガーさんたちと比べてみても、歌声や年齢のみならず風貌にいたるまで、離れ小島にいることを実感していただき、そして願わくば「うんうん。これでいいのだ。」とバカボン・パパみたいなセリフを洩らしていただきたいのですが(笑)。